頭の中の声

文字を読むとき、書こうとするとき、ロジックを慎重に手繰るとき、頭の中に声がある。思考とともに音がある、と錯覚している。その音は存在していないけれど、音声に伴うべき音の高さや音色まで、集中すれば聞こえるかもしれない。自分の普段出す声のようにも感じられるし、いざ実際に声を出して比べてみると違う声のような気もする。少なくとも女性の声ではなく男性の声で、多分自分の声に似ている。この輪郭のぼやけた隣人の正体は、自分自身であり、自分の意識の表れであって、それでいいのだろうとおもうけれど、、

頭の中の主観的な世界で自分はいつも自分でものを考えて自分で行動を選択していると思っている。けれど、動かそうと思って心臓を動かしてるわけではないんだ。心臓は勝手に動いているだけで。ほんとうはそれとみんな同じで、自分の意識も勝手に動いているはずだ。まさか、自分の心だけが世界から唯一切り離されて、独立に特別に動いているとは考えられない。ただ天体が運行するように、自分の心はただ動いている。世界のルールに則っている。自由意志なんて存在しない。ただ水が低い場所へ流れていくだけだ。そうだろう。きっとそうだ。けれどやっぱり一方で、自分は自分の意識が存在していて自分は自分の行動を選択をしているとおもっている。自分の頭の中の声はまるで自分の存在が超自然的で世界の理には縛られていないという顔をしている。だから、今日も私は私の行動を選択する。錯覚かもしれない。